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2011年7月5日火曜日

「アラブの春」のイラン到来が遅い理由とも。武装攻撃するグループに肩入れしたイラン女性歌手人生から

イランは1979年のイスラム革命を境に何もかも変わった。苦しい思いをした人が多い。未だに革命と聞くと鳥肌が立つ人は大勢だ。今のイランは「アラブの春」のような革命を望まないのは、32年の歴史を思い出す人が多いためだ。
苦しい思いをした一つのものは「MKO」という左翼思想のグループだった。ホメイニを支援したはずのグループだったが、1981年に非合法とされた。それ以降敵対国イラクに拠点をおくことになり、イラン・イラク戦争中にあのサッダーム・フセインを支援した。つまり戦争でイラン人をイラン人が殺していたことになる。(上で紹介したウィキペディアの情報をすべて認めているわけではないが、ひとまず参考として)
イラン国内でもMKOメンバーが大勢ころされた。刑務所で服役中だったはずの人たちが、数日中に3000人とも殺された。MKOのメンバーやその支援者らが「イラン人を殺したイラン人」でありながら「殺されたイラン人」とまったく逆の立場におかれている。
MKOを支援した一人の女性歌手Marziyehさんも同じだ。彼女は2010年にパリで亡くなるが、これほど素敵な歌手はイラン国内で「反イラン」と理解されたのは悲しいことだ。

彼女の歌の一つをここに
http://www.youtube.com/watch?v=_d6Ag_9C0ZU
以前、イランの女性歌手について書いたものは: (大好きなSima Binaさんへの尊敬はまったく違うけどさ。)